不服従と抵抗の哲学。マハトマ・ガンディーとキング牧師に学ぶ!【適菜収】 連載「厭世的生き方のすすめ」第19回
【連載】厭世的生き方のすすめ! 第19回

◾️自分の「心の声」に従うな!
不服従が板についてきたら、自分の「心の声」にも従わないほうがいい。その積み重ねが、つまらない「自己」を解体する。
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これに関しても、身近なところから始めればいい。ハンバーグを食べたくなったらハンバーグは食べない。牛乳が嫌いだったら、牛乳を飲む。大切なものを守るのはやめる。人間は大切なものを守ろうとするから戦争をするのである。だったら、大切なものをなくせば戦争はなくなる。戦争では怪我をしたり死んだりする。危険なことはやらないほうがいい。ロクでもない連中が、自分の「心の声」に従わなくなったら、世界は平和になる。
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私はなるべく自分の「心の声」に従わないようにして生きてきた。だからなるべくやりたいことはやらずに、やりたくないことをやるようにした。泳ぐのが大嫌いなのでプールに通うようになり、歌うのが嫌だからカラオケに行くようになった。人前で喋るのが嫌だから、大きな会場で講演をしたり、ラジオ番組に出演したりするようになった。これは苦手意識を克服するためではない。自分の「心の声」に対する不服従である。
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以前某編集者から「会ってみたい人はいますか?」と聞かれた。考えてみたが一人も思いつかない。過去の人、たとえば17世紀、18世紀の人ならたくさん思いつくが、存命中の人は浮かんでこなかった。一方、会いたくない人なら星の数ほどいる。そこで、「適菜収のこの人に会いたくない」という企画を作った。会いたくなくて会いたくなくて仕方がない人をゲストに呼んで嫌々トークする。もちろん、タイトルは「週刊文春」の阿川佐和子の連載のパクリである。
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しかし、阿川は本当に「この人に会いたい」と思っているのだろうか。会いたくない人でも、連載を続けるために、嫌々会っているのではないか。そこには欺瞞がある。その点、私が予定していた連載に嘘はない。本当に会いたくないのだから。ここに長期連載のヒントがあるような気がした。
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数年前、「日刊ゲンダイ」か「ベストタイムズ」で企画が通りそうだったが、始めるのがのびのびになってしまい、第1回のゲストを予定していた安倍晋三さんが暗殺されたため、出演が不可能になってしまった。第2回のゲストは橋下徹さんを予定していたが、警戒して来てくれないかもしれない。その場合は、出演依頼の手紙やエールの言葉などを載せることにした。
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ちなみに、第1回の見出しは「敗軍の将、兵を語る」、第2回は「しくじり先生 大阪都構想の薄汚い目的」にする予定だった。元みじめアタッカーの百田尚樹さんもゲストに呼びたいが、私の遊びには付き合ってくれないかもしれない。
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なお、不服従は、単なるわがままではない。歪んだ世界に対する意思表示でもある。歳をとると頑固になるという。どうせ頑固になるなら、早く頑固になったほうがいい。
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不服従運動のスローガンとして「嫌だね」というのはどうか。スパゲッティを「箸で食べてください」と言われたら「嫌だね」と拒絶する。
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普段は傲慢不遜な態度をとっている自民党の西田昌司が2025年の参院選で窮地に追い込まれると「みなさん、何とか助けてください」と言い出した。ツイッターにも西田の「助けてください」という画像が流れてきたので、私は即座に「嫌だね」と引用ツイートした。
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座り込みもいい。地べたに座り込む若者が大人たちに白い目で見られるという構図がある。私が大学生の頃は、友達と地面に座り込んで話をしていたが、今考えるとあれも社会に対するレジスタンスの側面があったのかもしれない。今の時代は、新宿や渋谷の繁華街で座り込んでいるとすぐに排除されるらしい。「そこをどきなさい」と言われたら「嫌だね」と答えればいい。
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この連載について、「少しはまともなことを書け」というご意見があるかもしれない。嫌だね。
文:適菜収
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